信州・高山小旅行~足あと編 1
かいです。
今日は、28日の夜から、29日にかけて出かけた、信州、高山方面の小旅行について書きたいと思います。
実はこの旅行、29日に休みが取れたので、以前から出かけようと計画していたのですが、相次ぐ台風や、中越地震で、被災者や復興に携わっている人達に申し訳ない、そんな時間があるならボランティアにでも行こうか等、色々考えました。しかし、相次ぐ災害で傷ついた日本列島を自分の目で確かめ、まちづくりについて考えたいと思い、道路状況を確認して、行けると判断し、旅立ちました。
今回の旅行は、被災した長岡を通らずに116号から上越を通り、長野に抜けました。沿道の116号線では、復旧工事で車線規制。道路には、補修した後がいっぱい。改めて、今回の地震の凄さを痛感させられました。
長野に入ると、さすが地震の影響は無い様。しかし、19号線通行止めの案内。これから松本に抜けられるか心配。ネット等で調べ、迂回路はあるし、高速も大丈夫だから行けるだろうと思っていましたが、やはり心配。不安を抱えながら車を長野方面へと走らせました。
長野市を抜けると、やはりまだ19号線は通行止。仕方なく18号線へ。しばらくすると信州新町(19号線方向)の迂回路の看板。しかし、普通車のみとの表示に大丈夫だろうかと思いつつ迂回路へ。時間も9時を回り、車の少なくなった道を走る。急な勾配の山道を進むが、まだ道幅は広い。時たま見える長野の夜景はとても綺麗なのだが、車を止めて見る余裕はない。夜、走った事の無い道を行くのはとても不安でしたが、それでも人家があるのでまだ大丈夫だと思いながら、車を進めました。
しばらくすると、案内標識。ここから先は左へと。いよいよ狭い道。しかし、行くしかないと思い、車を進める。人家も無くなり、対向車も無い。道のあちこちには土砂の崩落した後。通れるのだろうか、道を間違えていないのだろうか思いつつ進みました。時々立っている県道の看板と、人家の明かりが頼り。標識の「信更町」の文字に19号線の被災地は近いなと思いつつ進む。すると、「路肩崩落片側通行」の文字。おそるおそる進む。何とか大丈夫で、ホッと胸をなでおろす。
しばらくすると、人家の明かりが増えて来て、バス停も。ほっと胸をなでおろすもなかなか抜けられない。しかし、道が広くなり、車がビュンビュンと走る音。19号線の案内標識があり、ついに19号線へ。いつもなら広い道を夜でも安心して走れるのに、災害は安心と快適な暮らしを妨げるものだと痛感させられました。そして、どんなに狭くても、道がある事がいかに有難いか痛感させられました。
19号線に入り、今までの遅れを取り戻すべく少々飛ばす。車の少ない夜道を犀川沿いに走る。少々寂しいが、快適なドライブ。
しかし、又、片交の看板があり、そこは土砂崩れの現場。そこには何と、交通誘導員の姿が...。冷え込む信州の山道で夜を徹して誘導する姿に心を打たれる。せめてもと思い、クラクションとハザードで、感謝の気持ちを伝えました。
更に走ると、路上に大きな動物の影。「えっ」と思い徐行する。もしかして熊?と思い、一瞬背筋が寒くなる。しかし、それは何とイノシシの親子。山に戻れなくなったらしい。轢かない様に車を進め、何とか通りすぎる。今年はえさが少ないのか。動物も大変だなと思いました。
そして、やっと松本へ。手前の豊科から高速に乗り、梓川SAで仮眠。中越地震の被災者と同じく冷え込む信州で車中で夜を明かしました。
ひとまず。
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