« November 2004 | Main | January 2005 »

December 31, 2004

大晦日

かいです。

あっという間に一年が過ぎ、今日は大晦日。
今年は、私にとっても、新潟、日本、そして、地球上にとっても激動の一年でした。
相次ぐ災害。私の身近な、新潟そして三条は、7.13水害に中越大震災と未曾有の災害に見舞われました。
とにかく、立て直すしかないです。戦後の廃墟から、わずか数十年で世界のトップクラスの国をつくり上げた、我々日本人なら、きっと、今以上に良い国、街が造れるのではと思います。
かいの力は大した事ないけど、ブログとかで、又何かの縁で結ばれた人や地域のつながりから、きっと大きな宝物が得られるのではと...。

来年が良い年でありますように。
皆様、良いお年を。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 26, 2004

又仙台に行ってきました。2

かいです。

仙台行きの続き。

講習会は、4時過ぎに終了。
光のページェントの点灯にはまだ早いので、AERの展望室に昇り、仙台の街を眺める。
DSC00948 DSC00949

そして、仙台駅前のペデストリアンデッキから駅前を眺める。
DSC00953 DSC00955

そして、2階デッキには交番。とても分かりやすい場所。先回の新潟駅前広場のWSでも、分かりやすい位置に交番が欲しいと意見があったが、仙台駅では、すでに実現されている。
DSC00957

時間つぶしに、駅ナカの居酒屋に入る。
メニューは、福島の馬刺しや青森のイカとか東北各地の名産が並ぶ。さすが東北の中心。しかし、仙台ということで、やはり牛タンをいただく。(もちろん生も)
ただ、雰囲気やメニューといった居酒屋のレベルなら新潟も負けていない。新潟でも旨い魚で一杯やりたい。

一杯飲んで、駅を出ると、外は真っ暗。ペデストリアンデッキから青葉通を望む。そして、夕暮れの仙台の街を歩き始める。
DSC00958

そして、腹ごしらえ。少し早い夕食は、かつて「続・仙台のおいしい話」で紹介した、ハンバーグ支倉で。

今回は、Bigハンバーグ定食(300g・1300円)を。
DSC00962 DSC00963
尚、私がいつも食べるダブルハンバーグ定食は1600円、普通のハンバーグ定食は980円である。

ここの定食は、ハンバーグ、付け合せのジャガイモ、インゲン、スパゲティ、にサラダ、味噌汁そして飯である。

ハンバーグの味については、先回紹介したので省略するが、(ふわふわしてとても美味しい。)サラダや味噌汁もとても美味しい。
サラダは、レタスとトマトにドレッシングをかけただけのものだが、酸味がきつすぎず、やさしい味。コーンの味もする。(ドレッシングにクリームコーンでも入っているのか?)
味噌汁も、本格的にだしがとってあり、とても美味しい。具のワカメも歯ごたえがあり、グー。
細部まで手を抜かない所が、とてもうれしい。
ただ、飯の盛りが少ないのは難点。(お替りは100円)
そして、接客をしている奥さん?の気配りも有難い。細かいところにまで手が行き届き、居心地の良い雰囲気。
更に、私が、デミグラスソースをシャツにつけてしまったら、間髪いれず、タオルに洗剤とお湯をしみこませて、これで拭けば落ちるよと渡してくれた。
味と気配りが満点のお店である。アーッ美味かった。

再びまち歩き開始。五橋通から、定禅寺通へ向けて、サンモール一番町の商店街のアーケードを進む。

商店街の脇にとても渋い小路。「文化横丁」とある。
DSC00966 DSC00967

ここは、餃子の美味しい「八仙」というお店のある小路。(この店のエピソードも、名前は出さなかったが続仙台のおいしい話に)

中々渋い感じの小路。かつて、話題になったしょっぺ系の感じ。
確か、この商店街では、更にディープな小路を発見したのだが、記憶が飛んでしまった。

そして、青葉通を渡る。青葉通にもイルミネーションが...。
DSC00969 DSC00970
更に商店街を進む。それにしても、人が多い。
DSC00971 DSC00977

そして、ついに定禅寺通に...。
DSC00986

9月のジャズフェス以来の定禅寺通。9月には、ケヤキに青々とした葉っぱがついていたが、葉を落としたケヤキに灯りが灯る。街の姿は一変。
DSC00981 DSC00988
新潟のけやき通のページェントも美しいが、仙台のものは、スケールが全然違う。
凄い...。

とにかく、定禅寺通を勾当台公園方向に進む。

そして、ジャズフェスの際舞台となった、勾当台公園にもイルミネーションが...。
DSC01001

そして、屋台もいっぱい。暖かそう。
DSC01003

私が、かつて聞いたまちづくりの成功例として、北海道の帯広の「北の屋台」というのがある。屋台は、九州とか暖かい地方のものだと思われていたが、実は、北国の方が楽しめるという話である。
これからは、寒い地域こそ、夜に街に出て、楽しむ仕掛けが欲しい。


そういえば、この辺、かつて、仙台ネタで盛り上がったとき、情報通の「たかさわさん」より存在を知り、そして、地域サロンin山形で知り合った「えんさん」より場所を聞いた、とてもおいしいと評判の焼肉屋「ぽっこ」のある辺り。
「えんさん」の情報によるとNHKの裏とか...。
早速、NHKを探す。
さすがエビ様、いや皆様のNHKだけに、NHKはすぐに見つかる。しかし、「ぽっこ」はなかなか見つからない。
探す事30分。あきらめて帰ろうとしたその先に、赤提灯が...。
DSC01005 DSC01006

ついに「ぽっこ」発見である。こじんまりとした感じの店。いかにも大衆向けといったたたずまい。入りたいけど、少々怖い...。

ということで、今度、皆で仙台焼肉ツアーでも行きたいですね。たかさわさん。

ぽっこも見つけ、収穫の多かったまちあるきもそろそろお開き。駐車場へと向かう。
それにしても、仙台の駐車場は、サービスがいい。
DSC00987

ビジネス料金とか、サービスがいっぱい。私が止めたAERの駐車場料金は仙台では高いほう(30分190円)なのだが、長時間止めても平日は、1500円が上限。
て、いうより、新潟の駐車場料金が高すぎるのかもしれない。30分210円って...。東京でもこれより安いところがある。
仙台は地下鉄とがが発達していて、車と公共交通の競争があるのかもしれない。

そして、車に乗り、家路へと急ぐ。
車窓からは、電波塔のライトアップされた姿が見える。
DSC01008

商店街を歩いたときにも感じたが、仙台中がイルミネーションで包まれたよう。
街の一つの地域でイベントを行うと、他の地域も皆一緒になって街全体を盛り上げようとする仙台市民の気概を感じた。
そして、仙台市内でも、風花が舞う。峠は雪だろうか...。

          ◇                    ◇

車は、仙台市内を抜け、286号線で山形へ向かう。
仙台南ICを過ぎると、雪もだんだん本格的に降ってくる。宮城川崎IC辺りは、道路にも雪がある。そして、宮城川崎ICから山形道に入る。行きと違い、雪道の笹谷峠。
高速は新雪で真っ白。FRの車は上り坂でアクセルを吹かせず、スピードダウン。
吹雪いてきて気温はマイナス4℃。とても恐い。
ようやく笹谷峠を越え、山形県に入る。山形市内に入るにつれ、道足が良くなり、山形蔵王ICを降りる頃には路面に雪が無くなる。緊張感から開放され、夜の13号を走る。
道は濡れている感じだが、電光掲示板は路面凍結の文字。それにつられて、車の流れは遅くなる。

やがて、南陽市から113号線に入る。路面にも再び雪が...。
飯豊町の辺りから、本格的な雪道となる。前の車が退避し、先頭を走る事となる。
やがて、宇津峠にさしかかる。しかし、なかなかトンネルに近づかない。だんだん雪も激しくなり、退避している車もある。大丈夫なのだろうか?
そしてトンネル。トンネルの中は、暖かくほっとする。しかし、トンネルを抜けると猛吹雪。視界がきかない。遠くに見える街灯の灯りが頼り。除雪してあるが、吹き溜まりの後もある。道は圧雪でガタガタ。
徐々にスピードが落ち、車が何台か連なる。
しかし、とにかく、帰るしかない。
30分か1時間か、とても長く感じられた時間が経ち、小国の街に入る。集落が見えてホッとする。そして、新潟県境へと向かう。

新潟県に入ると、道足が良くなってくる。そして、下関の辺りからは、路面に雪が無くなる。
やっと、雪道から開放される。
坂町に近づくにつれ、暖かくなる。7号線に入り新潟、そして、三条を目指す。
新潟バイパスの辺りは路面も乾いている。日本列島の天気はこんなにも違うのか。
ともあれ、無事に三条に到着。長い一日が終わる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 25, 2004

又仙台に行ってきました。1

かいです。

今日は、今年2回目の仙台行きについての報告。

また仙台?っていうかもしれないけど、今回の目的は、交通工学研究会のセミナー出席が目的。っていうのは建前で、本当は、光のページェントを見たいと思い、今回の仙台行きとなった。
しかし、当日は雪の予報。車で向かおうと思っていたのでかなり不安。しかし、何とかなるだろうと車で向かう。

          ◇                     ◇

今回は、113号線を通り、山形経由で向かう事とする。
当日の朝、出発するときから雪がちらほら...。路面はまだ濡れている状態。しかし、中条を過ぎる頃から、屋根が白くなり始める。
坂町から113号線に入ると徐々に雪景色に...。本格的な冬の到来である。
県境に近づくにつれ、路面にも雪が...。この冬始めての雪道走行。少々不安。
カーブで膨らみセンターラインを少々はみ出す。恐っ。山形に入ると、除雪車が...。
しばらくして小国の町に入る。路面に雪が無く、少々安心。しかし、小国の町を抜けると再び路面に雪が...。雪の山道を走る。
そして、この路線の最大の難関、宇津峠を越える。気温計は何とマイナス4℃。雪も強く降って来て、視界が見えなくなりつつなる。
宇津トンネルを越えると、雪も止む。道足も大分良くなり、飯豊町に入る。路面は濡れている状態から、徐々に乾いてくる。あーっ良かった。
南陽市から13号線に入る。空から薄日も差す。緊張から開放され、今までの遅れを取り戻すべく少々飛ばす。
山形の手前、上山ICより高速に入る。対面通行の高速。車は一台もいない。
高速は、少々遠回りか、山形道になかなか接続しない。かなり走って、ようやく山形道に入る。笹谷峠は雪がないが、かなり寒い。路肩には雪もある。

峠を越え、宮城県に入る。しかし、天気はすっきりしない。宮城に入れば、晴天かと思ったが少々残念。
そして、東北道に入り、菅生PAで昼食。
昼食後、再び東北道に入る。仙台宮城ICで降り、仙台西道路のトンネルを走る。
トンネルを抜けると広瀬通に。それにしても、市街地と郊外を結ぶ仙台西道路、この道を走る度、仙台の都市計画の巧みさに感心させられる。
仙台の街路は、格子状。方角さえ分れは走りやすい。そして、とにかく街路が広い。中枢都市として、ふさわしい街路の広さ。私は政令指定都市の街路は、大体車か歩きで通っているが、仙台の街路はそれにふさわしいもの。
新潟の場合、それだけの格のある道は、駅前の東大通位。政令指定都市を目指す新潟にとって、これはかなりのハンデか。
そして仙台のメインストリート青葉通に入り、仙台駅前に。DSC00939

そして、駅のすぐ隣にある、セミナー会場「AER(アエル)」に到着。
DSC00940 DSC00952

          ◇                     ◇

そして、本日のメインイベント、交通工学研究会のセミナー「交通シミュレーションセミナー~交通シュミレーション適用のススメ」を聞くこととなる。
DSC00946
今回のセミナーは、最近急速に進歩している、交通シュミレーション技術について、その概要及び、適応事例、適用に際しての問題点を明らかにするもの。DSC00942

交通シミュレーションとは、パソコン上に信号や道路状況を再現した仮想道路データを作成し、そこに現況及び将来における交通量、道路データを入力して、交差点改良前後の渋滞長や所要時間がどの程度減少するのか推移を予測するものである。(鹿児島国道事務所HPより

私は、冒頭の部分は聞けなかったが、国交省、警察庁、そして、建設コンサルタントの利用事例及び利用への取り組みの話は聞くことが出来た。

まず国交省の沓掛氏より、社会資本整備と交通シュミレーションについての話がある。DSC00943

現在の日本においては、マスコミを中心に公共事業は悪というイメージがばらまかれ、公共事業へ厳しい風当りがある。そして、財政の悪化と相まって、公共事業の予算は削減されている。
しかし、わが国の社会資本整備水準は欧米に比べても低く、又、中国等のアジア諸国は急速に社会資本整備を進めており、このままでは、日本が取り残されるのではと警告。
その為に、公共事業の評価について、市民に分かりやすい形で表現し、理解を求めていく必要があり、そのツールとして、交通シュミレーションが有効であるとの指摘があった。
そして、その一例として、和歌山で行われた社会実験について、交通シュミレーションと実際の社会実験との比較事例が紹介された。現在、有料道路の利用率を向上させる為、全国あちこちで行われている社会実験。その実験に先立ち、交通シュミレーションを行う事で、条件の絞込みを行い実験の効率を高め、なおかつ、想定と実際の比較を行うことにより、シュミレーションの有効性を検証した事例。
今まで、ないがしろにされていた公共事業の有効性の評価について、目に見える形で表現できる事が期待される。

次に、警察庁の山本氏より、警察における、交通シュミレーションの現状と課題について話がある。
警察においては、交通シュミレーションについて、ニーズはあるものの、利用実績がないとの話がある。
現在の交通シュミレーションについて、専門的な知識を持った人が必要で利用しにくく、コストが高い、又、利用についても、各都道府県警レベルではたまにしか利用する機会が無く、導入に踏み切れないとの事例紹介があった。

そして、最後に、パシフィックコンサルタンツの杉本氏より、東北地方による交通シュミレーションの適用事例について話があった。
この中で、駅前の都市計画道路整備に伴う交通量の変化についてのシュミレーションとバイパス整備における取り付け道路の接続についての2点の事例紹介があった。
特に印象深かったのは、バイパス整備の事例。
このバイパスは、市民との話し合いで合意形成しながら造って行こうとしているもの。その中で、バイパスが通る付近に団地があり、団地との接続道路が交差点に近接する計画となった為、そこの接続をどうすべきかについて、市民と行政とコンサルで話し合われた。
行政側は計画される交差点から、離れたところに団地との新しい道路を建設し、団地との接続を図ろうと提案したが、市民側は、既存の道路を活かし、五叉路としてはどうかと話が出て、交通シュミレーションを行う事となった。
その結果、五叉路とする案では、深刻な渋滞が発生する事が予測され、結局、新しい接続道路を造る事になったそうである。
分かりやすい形で、市民と行政の合意形成を行うツールとして、交通シュミレーションは有効であるとの話であった。

交通シュミレーションは、現状では、なかなかとっつきにくいものだが、これからのまちづくりを進めるために必要不可欠なツールである。誰にでも分かりやすく、正確で、安価なシステム開発を望みたいものである。

          ◇                     ◇

かなり堅い話が続いたが、次回は、夕暮れの仙台まち歩きと光のページェントについての報告!お楽しみに!


| | Comments (1) | TrackBack (0)

December 19, 2004

第四回新潟駅周辺整備ワークショップ

かいです。

今日は、12/18に行われた、新潟駅周辺整備のワークショップについての報告。

このワークショップ、新潟駅前広場について、市民参加で、形にしていこうというもの。7月末の新潟駅東側連絡通路で行われたのを皮切りに、今回で4回目。
最初は、形になるものが何も無かったが、これまでのWSの中で、序々に形になって来た。その一方で、様々な問題点も浮かび上がってきた。
きかく会議のメンバーからも、
かつての南口広場整備で作られた施設が生かされておらず、噴水が醜い形になっている事。
駐車、駐輪場の問題が考えられておらず、現状の駐車、駐輪場を削ることになるのではないのか?
等の問題提起がなされて、新しい広場は果たして必要なのか?との問題提起があり、前日の夜、現地に集まって、意見交換をしたりした。

DSC00903新潟駅連続立体交差事業の中の周辺整備事業、その中での広場整備という事で、前提条件にかなり制約がある中での、ワークショップ。今まで前提条件があいまいなまま、話を進め、話が堂々巡りになる事が多かったが、今回のワークショップでは、今までの経緯、そして出張PRでの結果を踏まえながら、その前提条件の再確認から始まった。
道路の接続の問題、ぺデストリアンデッキ、バス停の形状、駐車駐輪場の問題等、行政及び、設計者側の説明が続く。
参加者の中から、防災の観点から、ぺデストリアンデッキは必要か?又、他の事業との兼ね合いはどうなのか等の質問が続く。
DSC00907 DSC00930

次に、設計者側より、駅前広場のイメージについてのプレゼンがある。
市民の意見を取り上げながら作り上げた広場のイメージ。
南北それぞれに違う、広場の性格について、新潟をイメージする、水と緑を配置しながら、作り上げていこうとする提案。新しい新潟駅を通り抜けると広場の性格が変わっていく仕掛けを提案していく。
次に、新しい駅前広場について、賑わいをどう演出していくのかについて、その為にイベントを行える場を広場の中にこんな形で作ればいいのではと提案。
広場をただ作るのではなく、イベントを通じて、まちの賑わいを演出していくこと、イベントを行う事で生じる収益で、広場のメンテナンスコストを賄えるのではと提案。
7月末に始まったこのワークショップ、数ヶ月の市民と設計者の対話で、形が見えてきた。
交通結節点としての駅前広場。いくら乗り物を利用しても、結局最後の移動は、人間が歩くこと。人が集い、交わり、別れていく広場。まちの賑わいを演出していくのは、結局「人」である。人が真ん中な広場づくりに向けての形が出来上がって来た。
DSC00910 DSC00916

次に、グループディスカッション。
設計者の提案した、駅前広場について、実際に利用したつもりになって問題点を検証する。
通勤通学の際、イベントをする際、待ち合わせをする際等、それぞれの、ケースを想定しながら、シュミレーションしていく。
広場の分かり易い場所に、交番を設置して欲しいとか、待ち合わせをする際のシンボルが欲しいとか様々な意見。
利用者の立場に立ってシュミレーションすると、今までのワークショップで想定されていなかった、様々な部分が明らかになる。
そんな中、駅前広場について、ただ機能のみを追及するのではなく、遊び心が必要ではとの意見が出る。
新潟は、天候の影響か、暗いイメージがあるという、しかし、その為、女性がきれいに映るそうである。明かりを工夫すると、かなり面白い広場になるのではと話が進む。女性がきれいに映れば、それに釣られて男性も集まり、にぎやかな広場になるのではと...。

DSC00922グループワークの結果について、各グループ毎に発表!
それを踏まえて、全体ディスカッションとなる。
グループワークで言い残したこと、その他、言いたい事を含めて、それぞれが発言。
今、新潟で検討されている新交通システムとの連携等、様々な意見が出る。

そして、そんな市民の問いかけに対し、設計者グループから、今までの論議を踏まえ、発言がある。
現状の新潟駅は、駅が都市の壁となって、新潟の発展を妨げている事。その為に、人が自由に行き来出来る広場が必要なんだと話がある。
そして、新潟駅について、利用者のニーズを把握しながら成長していく駅にしていきたいと話がある。
そして、そこに市民がどう関わっていくのかが課題だとの話があった。
更に、設計者グループも、これまでのワークショップで市民と設計者との間で、共有の輪が出来つつありとても嬉しいと話があった。この言葉を聞いて、私も、駅きかく会議に携わって良かったと感じた。


今回のワークショップ、基本設計策定に向けた最後のワークショップである。
それなりにまとまった感じ。しかし、課題もいっぱいある。
ワークショップの参加者は、同じメンバーばかり。市民まちづくりといっても、特定の人たちの参加しかなく、それだけで、特定のグループが形成されてしまう感じである。
市民の生活にとって必要不可欠な問題の駅整備。我々、駅きかく会議も市民の生活レベルに合わせた対応が求められる。
更に、新潟駅周辺整備について、新しい新潟駅のあり方、鉄道の立体交差の問題、それに伴う街路整備の問題、新交通システムを含めた公共交通体系の問題、周辺商業の問題等、総合的な対応が求められる。
新潟駅周辺整備事業による市民参加も、それに合わせて、総合的に対処できるものとしなければならない。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

December 14, 2004

東京ぷちあるき~私の好きな神田とか

かいです。

今日は、11日の東京でのあしあとについて。
(せっかく高え交通費をかけて東京行ったっけ、記事こといっぱい書かんばねー)。

当日は高速バスを利用。
長岡から先は震災の跡。段差が激しくバスが揺れる。小千谷ICの辺りに来ると、倒壊した家の姿。後片付けは済んでいない。学校のグランドには仮設住宅。いつもテレビで見慣れた光景も生で見ると、なんとも言えない。
一車線が規制され、あちこちに重機の姿、復旧は、急ピッチで進められている。
小出を抜けると、地震の影響は少ない。湯沢を過ぎ関東へ。
関東は、新潟と違い、晴天。この時期に、関東へ行くと生き返った気になる。

練馬で関越を降り都内に、都内は結構混んでいる。それでも、予定時刻の11時半前に池袋に到着。
池袋は、あまり降りたことが無いので、少々戸惑う。案内板を頼りに、丸の内線に。御茶ノ水に向かう。
丸の内線は、地下鉄といいながら、結構、地上部を走る。山の手と下町の境界線か?
今回は立ち寄らなかったが、その沿線の中に茗荷谷という街がある。この街は、私が放送大学のスクーリングで通った街。付近に大学があり、結構雰囲気のいい街で、下町っぽい雰囲気がある。駅の近くにかつて関東大震災の復興で建てられた同潤会のアパートがあったりした(今は取り壊されたか)。

ともあれ、御茶ノ水の駅に着く。地下鉄の駅は、神田川の反対側。御茶ノ水橋を渡り対岸に。橋から、聖橋が見える。
DSC00837

JRの御茶ノ水の駅前から、明大通りへ。神保町方向へ向かう。
坂を下ると、ビルになった明大キャンパス。そして山の上ホテルの看板。
DSC00840 DSC00841

この辺、かつて私が、宅建の合格者講習で何日か滞在した所。大枚をはたいて山の上ホテルにも泊まった。
ここは、てんぷらが有名(高いが...)。文人が愛したホテル。
DSC00843
坂を下り切ると、靖国通りに神保町へ向かう。

神保町の交差点の近くで小路に入る。
DSC00850
小路の中にある「天ぷらいもや」で昼食。(一年半ぶり)
DSC00851

ここの天ぷら定食は、(えび、きす、いか、かぼちゃ、春菊?にめし、しじみ汁)でなんと600円。ワンランク上のえび定食(えび4本、春菊?)で800円。山の上ホテルの天ぷら定食なら1万円は覚悟せねばならないが、天と地の差。(どちらがいいとは一概に言えないが...。)
DSC00853 DSC00854

土曜日の12時前のせいか、すんなり座れる。しかし、この店は、いつも行列のできる店。(回転は速いが)
天ぷらが揚がるのを待っているうちに、店は満員に。少々肩身が狭くなったところで、天ぷらが揚がる。
やはり揚げたての天ぷらは美味い。飯が進む。この店、お替りOKなので飯をもう一杯いただく。てんこもりの飯に少々戸惑うが、全部頂く。いつもは、穴子とか椎茸を追加するのだが、今日は置いていないので、飯が多すぎたか。
あと、しじみ汁の味もいつもと違った。いつもは美味しいしじみ汁なのだが、今日のは出汁のとり方が上手くない感じ。味噌をお湯で溶いたような感じの味。
少々、不満が残ったが、お腹は満腹になる。

食後の運動を兼ねて、まち歩き復活。靖国通りを九段の方向へと歩き始める。
DSC00861

ここが、神保町の交差点。なぜか、私はこの場所が好き。
DSC00858 DSC00860

靖国通りを更に進むと、古本屋街に。日本を代表する様々な企業、団体の中枢機能がある一方で、下町の風情が残る神田神保町界隈。私の好きな街である。
DSC00864

九段に入ると大きな鳥居。靖国神社
DSC00873
靖国神社を横目で見ながら、坂を上がると、北の丸公園に。ここは、紅葉の盛りみたい。
DSC00878 DSC00879

ともあれ、伊藤守講演会の会場の三番町に到着。

          ◇                    ◇

帰りは、半蔵門線で、数年ぶりに渋谷へ寄り道。センター街をふらつく。
そして、宇田川町の辺りへと。パルコの辺りをふらつく。
この辺り、TokyoFMのサテライトスタジオがあって、昔は東京に来たときに必ず寄った場所。
何がどう変わったのか分からないほど、変化の激しい街。しかし、変わらないのは、凄まじい人の流れ。

それにしても、渋谷って、どうしてこんなに人が多いのだろう。渋谷駅のスクランブルは、完全に歩行者優先。
DSC00882

帰りのバスが待っている池袋へ。
池袋って、東口に西武、西口に東武。戸惑うが分かりやすい。
デパ地下で、買出しをし、バスターミナルに。でも、池袋って意外に分かりやすいかも...。

バスターミナルから、東口を望む。
DSC00883

JRに明治通りが平行し、駅前に大きな百貨店(西武)がある。典型的なターミナル駅。新潟駅にも少々似ている感じ。

やがて、帰りのバスが、到着。デパ地下で買ったビールとつまみをほおばりながら、帰宅の途に着く。


| | Comments (4) | TrackBack (1)

December 13, 2004

コミュニケーションラボラトリー~伊藤守講演会

かいです。

今日は、11日の土曜日に行われた、伊藤守氏の講演会「コミュニケーションラボラトリー」についての報告。
伊藤守氏は、コーチングやコミュニケーションに関する研修事業を行っており、それらに関する書籍も、多数出されている方である。

私が、伊藤氏を知ったのは、まちづくり学校のおおのさんのブログがきっかけ。
男の子と女の子の二人のキャッチボールのアニメーションから、コミュニケーションに自信を無くし、悩んでた自分に勇気を与えてくれ、又、知らず知らずの間にコミュニケーションで他人を傷つけていた自分に反省させられ、コミュニケーションって何って何回も考えさせられた。

街って、まちづくりって、人と人がぶつかり合う事。それを繋げるのがコミュニケーション。私が、まちづくり活動に携わるようになって感じさせられた、コミュニケーションの大切さ。
私は、かつての様々な体験から、コミュニケーションに自信を無くし、コミュニケーションを避けていた。しかし、まちづくりにのめり込む様になって、コミュニケーションで何かを掴みたいとも思うようになった。そんな中、伊藤氏の発するメッセージは、私にとっての宝物となっていった。
そして、今回の講演会の話。私は、ぜひ、この目、この耳で、伊藤氏のメッセージを掴んでみようと、参加を決めた。(本当は東京に行きたかった)。

以下、伊藤守氏の講演会より。

          ◇                  ◇

会場は、千代田区のCoach21/ホール。会場は満員。聴衆は100人程か。
コミュニケーションラボラトリーのラボラトリーの語源「ラボラティ.」とは、実験室という意味があるそうである。’92年に始めたこの講演会、しばらくは行っていなかったが、約一年ぶりの開催だそうだ。
伊藤氏の話はとても面白く、会場は常に大爆笑。(笑点?)我々人間の本質を突いてくる問いかけに、常にうなずく。
コミュニケーションの基本は挨拶。そして、そんな英語の挨拶の基本である、「Hello」の発明者が発明王エジソンだという話に「へぇー」と(トリビア?)。思わず机を叩きたくなる。

楽しい雰囲気での講演会だった。
そんな中感じたことは、人は人と言葉を交わすこと、交わる事で生かされ、又、傷つく存在だという事である。
言葉を交わすこと、交わる事は、時には生命を脅かす事もあるほどの危険なもの。だからこそ、人は、他と交わる事に、恐怖すら感じるのだという。しかし、人は、言葉を交わし、交わる事で、集団として行動するからこそ、万物の霊長となりうる事ができるのである。
そんな中で我々が必要なのは、他を受け入れながら、自分を守るという事である。伊藤氏は「パラダイムシフト」という言葉を使っておっしゃっていたが、自分と他人の違いを認識しつつ、共有するものを求めていくということである。

          ◇                  ◇

うまくまとまったか?うーん

ところで、この講演の内容、伊藤氏のブログにも掲載されている。そこには、何とかいの姿が...。

興味のある方は以下URLへ  
                 ↓  ↓
http://www.itoh.com/archives/2004/12/index.html#a000036

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 09, 2004

掘るまいか

かいです。

今回は、8日に新潟市総合福祉会館で観た、山古志の中山隧道を取り上げたドキュメンタリー映画「掘るまいか」の上映について報告。

中越大震災により、大きな被害を受け、全村民が村外に避難している山古志の人たち。そんな山古志の人たちだが、かつて、冬の閉ざされた生活を打破する為、自分たちの手で、長さ1kmもあるトンネルを自分たちの手で掘りあげた人たちでもある。
その事実は、山古志の人たちばかりではなく、我々が共有すべき財産でもある。それを、伝えるべく作られたこの映画。
私も、今回の地震に際し、その事実を確認することで、今まで何も出来なかった自分も、被災者との関われるのかと思い、上映会に参加した。
会場は、満員とまではいかないが、かなりの人、結構関心が高いみたい。


以下の文章は、映画「掘るまいか」のあらすじと、HP「中山隧道サイトB面」を参考に作成。

          ◇                    ◇

この話は、山古志村の小松倉集落の話。この集落は、山に囲まれ、大きな街に出かけるには、必ず峠を越えなければならなかった。その中でも一番近い街が小出で、その為には、中山峠を越えなければならなかった。
しかし、この峠、冬には、4mの積雪。その為、集落は孤立し、病人が出た際には、吹雪の中、病人を小出まで運ばなければならず、何人もの助かる命が助からなかった。
そんな、村の状態を何とかできないかと村民有志が立ち上がり、賛成派、反対派と集落を二分しながらも、賛成派有志により昭和8年11月工事が始められた。

工事は、困難を極めた。資金も、満足な資材もない中、横井戸掘の技術と有志のやる気だけでの作業。作業は冬の農閑期の中での作業。その為、今まで、出稼ぎで稼いでいたわずかな現金収入も乏しくなり、村は疲弊を深めた、そんな中、今までトンネルを掘っていた人達からも脱退者が出、又、賛成、反対双方の対立が深まり、村はバラバラになっていく。賛成派も、反対派も、村を思う気持ちには変わりないのだが...。
そして、戦争。若者は戦場へ行き、物資も不足していく。戦争はこの事業の遂行を困難にし、300m程掘ったところで、とうとう工事は中断。やがて、日本そして世界は、大きな犠牲を払い、終戦を迎える。

終戦後、生き残った若者は又、村に帰って来た。そして、復興の足音。
若者を中心に、トンネル工事再開の声。村長も、小松倉出身者が務めることとなり、新村長は県庁に何度も足を運び、工事への支援を陳情した。その結果、林道工事として、補助金が出る事となったが、その為には、集落の総意が必要であった。やがて、賛成派と反対派は和解し、集落挙げての工事再開となった。
工事の中心になったのは、若い男達。しかし、工事で使い痛んだつるはしを町の鍛冶屋に直しに持って行くのは女性達の仕事だった。吹雪の峠を、つるはしを担いで超えた。女性達は、作業に当たる男衆の弁当箱に精一杯飯を詰め、子供達に豆や芋の入った飯を食べさせながら、自分たちは、粥をすすった。

小松倉が一丸になってのトンネル工事。そして、昭和24年5月1日、ついに中山隧道は開通した。
小松倉の人達は、冬でも安心して小出に出かけることが出来るようになり、生活もはるかに豊かになった。
以来、数十年、中山隋道は平成10年に新しい中山トンネルが出来るまで、小松倉の人達の生活を支え続けた。

          ◇                    ◇

この話は、かつて「中山隧道サイトB面」のHPで見かけ、何回見ても涙が出た話である。そして、今回の上映でも、同じ話を何度も聞いたにも拘らず、又、涙を流してしまった。
特に、ラストのトンネルを掘りあげた人達の笑顔のシーンは感動した。
山古志の人達から、元気とまちづくりに必要な何かをもらった映画だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 07, 2004

駅きかく会議~次回ワークショップに向けて。

かいです。

今日は、新潟駅周辺整備の次回WSへ向けて設計者を交えてのの打ち合わせ。
設計者側からも、リーダーの堀越氏を始めとして、都市計画、造園等のメンバーが参加。

私は途中からの参加であり、今回の打ち合わせについては、今後に支障がある可能性があるので、詳しく書くことは出来ないが、設計者グループと前回(9月)の打ち合わせより、より踏み込んだ話が出来た。

今までのWS等を通じて、浮き上がった問題点は、作り手と使い手の意識のズレ。この事業の前提条件が市民の共通認識になっていない。以前の記事にも書いたが、市民が求めている事が設計者に伝わらず、又、設計者の意図が、市民に伝わらない現実。
この溝を埋めるために、出張PRでは、アンケートを行ったが、それを設計者に示す。
又、設計者側も、その事に気づいているらしく、反省の声も聞かれた。
そして、市民の目線に立った分かりやすい形で、説明していく事が、確認された。

次に、今までのWSの成果を次回WSでどう評価し、どう結論を導き出すかについて話を進める。
今までのWSの反省点として、話が堂々めぐりになり、結論が出ない点について話を進める。先回のきかく会議では、その方法について、チェックリスト的な物を作成し、成果を評価してみてはとの提案があったが、話を進めていくうちに、利用者になったつもりでシュミレーションし、使い心地をチェックしてみてはというアイデアが出た。
利用者の目線で、さまざまな状況を想定し、実際に駅を使う気持ちで、問題点を洗い出していこうという取り組み。
どうなるのか楽しみである。

更に、今までのWSで実現出来なかった、市民と設計者の直接の対話も行う事となった。
お互い望みながらも、実現出来なかった市民と設計者の同じ目線での直接対話。今までは、感情的な対立が起こる可能性があると避けてきたが、市民と設計者の双方の溝を埋めるために、ぜひとも必要だという事で実現する方向となった。

今回の打ち合わせで感じたこと、そして今後のWSに向けてのキーワードは同じ目線で考えるという事である。
今回の設計者との対話。私は、今まで、設計者の目線が極めて高く、恐れを抱く感じすらがあったが、結構視線を合わせれば、フランクな対話が出来ると感じた。私も設計者の目線で見るという努力が足りなかったかと反省させられた。
市民参加の新潟駅づくりにとって、使い手と作り手の意識の共有がまず必要。
今回のWS、今までのWSの積み重ねから、互いの接点を探し出し、何か形に出来ればと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 04, 2004

都市交通フォーラム~市民参加による都市交通ルネッサンス

かいです。

今日は、12/1にNEXT21で行われた、「都市交通フォーラム・市民参加による都市交通ルネッサンス」についての報告。
DSC00798.JPG

このフォーラムは、9月、10月に行われた、新潟の新交通を考えるワークショップを主催した、新たな交通システム検討協議会と新たな交通システムを考える会が開催したもの。
新たな交通システム検討協議会は、行政と交通事業者が、新たな交通システムを考える会は、市民有志が、それぞれの立場から新潟の新しい交通システムについて考えて実現していこうとする会である。

今回のフォーラムに先立ち、NEXTの1階で、それらの会の活動内容及び、今日のパネリストの一人である、RACDA代表の岡将男氏の鉄道模型が展示されていた。
DSC00799.JPG


会場は、6階の市民プラザで。
DSC00803.JPG

開会の挨拶に続き、宇都宮大学教授の古池弘隆氏より、基調講演。

DSC00805.JPG

まず、現状の車社会についての分析。
現在も道路建設が進められている日本であるが、道路を造れば造るほど、渋滞が発生すると指摘。道路が便利になれば、車の通行が増加し、結局渋滞が深刻になるという事について、統計結果を交えて説明。
更に、車の環境に与える悪影響、高齢化社会での引きこもり問題等、車社会の限界を指摘。
そんな中、外国では、公共交通が見直され、LRTが相次いで開業されている事例を紹介。
欧州では、LRTの導入が進んでいるという話は、交通まちづくりに関心がある人にとっては常識的な話だが、現在は、車社会の雄ともいうべきアメリカでもLRTの導入が進んでいるという。ポートランドを始めとして、ロサンゼルスでも導入が始まっているという。
そして、街にLRTが導入されると、中心市街地が活性化し商業的にもプラスになるという事例が紹介された。
更に、その動きは、欧米だけでなく、中国にも広がっており、実際に完成している都市もあるそうである。
続いて日本の事例を紹介。
まず、お隣の富山での事例紹介。高岡の市民による万葉線再生の話を始め、JRの富山港線をLRT化しようという動きがある事例を紹介。
日本でも、富山や、古池教授が活躍されている宇都宮を始め、あちこちで、LRTを交通の主要な手段として取り入れる動きが広がっている。持続可能な社会実現に向けて、公共交通を都市の機能として水平なエレベーターとして捉え、行政サービスとして行うべきであるとの提言があった。
締めくくりに、LRT導入についての問題点の整理があった。
公共交通事業は、営利事業ではなく行政サービスとして考える事(事業への公費投入)
軌道法の改正の問題。(時代錯誤の法律に縛られている現状)
走行空間の確保。
市民の意識改革。
等の問題を解決すべきとのとの提言があった。

次に、パネルディスカッションに。
パネリストは、基調講演を行った古池弘隆氏と、岡山のRACDA代表岡将男氏、新潟からは、新たな交通システムを考える会のメンバーであり、(有)ミカユニバーサルデザインオフィス代表の長谷川美香氏、新潟青年会議所理事長の栗田浩氏の4人。コーディネーターは、新潟青陵大短大部教授の諌山(いさやま)正氏である。

DSC00826.JPG

まず、岡氏よりRACDAの活動紹介及び提言。
岡氏は、小さい頃より大の鉄道ファン。更に、家業の佃煮屋の営業の為、全国各地を回った経験より、路面電車を中心としたまちづくりに想いを抱くようになり、活動をはじめたそうである。
岡氏は、路面電車を使ったまちづくりには、バスとの連携が必要だと提言。実際に市民の力でバスマップを作成している事を紹介した。岡山では、バス会社が8社もあり、各社がバラバラに対応していたそうである。そんな中、市民がつくり上げたバスマップは、岡山の公共交通の路線図を体系的に表しており、各機関が活用をはじめているそうである。
更に、RACDAでは、子供を巻き込んだ活動をしているそうである。子供の視点からバス停を作り上げるという事も行っているという。そういう活動を通じたりして、RACDAの会員の半数は女性であるそうだ。

次に、新たな交通システムを考える会のメンバーでもある長谷川氏より、新たな交通システムを考える会の活動や9月10月と行われたWSについての紹介。
更に、本業のユニバーサルデザインによるまちづくりの視点から、本当に公共交通を必要としている人達の声が届かないという現状に対しての問題提起があった。

そして、栗田氏より、青年会議所の活動を通じての新潟の公共交通問題についての活動紹介。
青年会議所では、10年ほど前から、公共交通問題に対し、研究提言を行っていたそうである。その背景には、都市間競争があった。北陸新幹線の開業による交通軸の移動による新潟の地位の低下。政令指定都市を見据えた交通基盤作り。とにかく、他所の街から新潟を眺める際、新潟がどういうイメージで見られるか、そして、どうすれば、都市間競争に勝つ事が出来るかについて、論議したそうである。
そんな中で、JRとの連携をした地下鉄構想を提言したそうである。しかし、それらは、日の目を見ずにいるが、現在もう一度、公共交通のあり方に関し、更に研究し、再挑戦を考えているそうである。

締めくくりに、もう一度、古池氏より事業の採算性についての話。
車は、ガソリン代のみで考えると一見安い交通システムに見えるが、車の購入、維持のコスト、道路の建設コスト、更に環境へのコストを考えれば、かなり高いシステムである。公共交通もトータルの社会コストで考えるべきとの話があった。

今回のフォーラムでは、新しい交通システムを導入していく意義と課題。そして、そこに市民、行政、事業者がどう関わっていくべきかについて、とても良い提言があった。
しかし、この問題を新潟という地に、どう根付かせていくという点の踏み込みが足らなかったとも感じた。
この問題、政令指定都市を目指す新潟にとって最重要課題ともいえる。個々に対応するのではなく、総合的な視点から、考え、行動していく必要があるだろう。

今回のフォーラム、私は車で参加したが、駐車場料金は7時以降の夜間割引で1250円。割引がなけれは、1400円。新潟と三条の公共交通のコストとほぼ同額である。新潟市内は車社会が成り立たなくなってきている事を感じた。

公共交通問題については、もう少し、自分の考えをまとめアップしていきたい。


| | Comments (0) | TrackBack (1)

December 02, 2004

駅きかく会議~出張PRのふりかえり

かいです。

今日は、30日に行われた、新潟駅周辺整備の駅きかく会議についての報告です。

今回話し合われたテーマは、
1.先回の出張PRのふりかえり。
2.次回WSへ向けての取り組み。
の2点です。

今回は、先回の出張PRのふりかえりを中心に述べたいと思います。

先回の出張PR展については、8日間で、延べ1,200人程の見学者があり、300人程の市民からアンケートや駅へのメッセージをもらう事が出来ました。
それらの中から、浮かび上がった事として、駐車場、駐輪場の問題、まちの賑わいの問題、ユニバーサルデザインの問題、新潟の公共交通全体の問題、市民参加のあり方等、様々な課題が浮かび上がってきました。

そんな中で市民の意見として、なぜ、駅の真ん中に広場を作るのか、むしろ、駅の真ん中に車道を通し、駅の南北の交通をスムースにすべきではとの意見が多かったとの話が各人から出ました。
駅きかく会議のメンバーの中からも、本音として、新潟駅をぶち抜いて南北の交通をスムースにすべきだとの意見が多数出ました。
使い手である市民の意識と、作り手の行政、設計者の意識のズレ。作り手は、新潟駅に広場を整備する事は、当然の事とし、広場作りについて市民の意見をWS等で集めながら、市民参加のまちづくりを進めているが、使い手である一般市民はそれを望まず、車によるスムースな南北の往来を求めている現実。

そんな中、新潟市内で活躍されている建築家の橋本氏より、市民へのインタビュー結果を交えながら「駅前に広場とはどういうことなのだるう」、「そもそもこの事業の原点は何なんだろう?」と問いかけがありました。
その問いかけに対し、私の意見としては、
大勢の人が集まる駅にとって、駅前に人々が集う広場は必要。生の人間がぶつかりあって生まれる賑わいは、街のエネルギーとなる。その大切な場を、車の天下にする必要はない。
この事業は、新潟の南北を分断している線路を高架にし、南北の交通をスムースにするとともに、分断されている南北が一体化した、街をつくる事。これは、かつて、信濃川で分断されていた、新潟と沼垂を一つにまとめ、近代の新潟市の礎を築いた萬代橋に匹敵するような事業。
これらの点について、
作り手が、駅前に広場をつくる事の意義を、使い手である、一般市民に分かりやすい形で伝えて来なかった事。
使い手の市民の想いであり、この事業の目的である、南北の自由な往来と、南北そして、合併する市町村が一つになって新しい新潟市をつくり上げるという事が、作り手(特に設計者)に伝わっていない事。
の2点が問題だと思います。

とにかくこの議論、市民参加型でまちづくりを進めてきた中で、大切な何かを忘れたまま、形だけの市民参加になって事が進んでいないか、という部分が浮き彫りになって来たのではないかと思います。市民参加の大きな実験ともいえる、新しい新潟駅づくり。今回浮かんできた課題にどう取り組むかによって、今後の方向性が決まってくるのではと思います。

ひとまず。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« November 2004 | Main | January 2005 »