三条・五十嵐川まちあるき~木橋「一新橋」から下流へ
かいです。
更新遅くなってごめんなさい。(体調が少々悪かった。)
まちあるきは、一新橋から続く。この辺りはかいの家の近所。
この橋は、何と木橋。(今は珍しい)
でも、三条の街は、私の小学校時代は木橋天国だった。
五十嵐川でも、先ほど紹介した、田島橋を始め、上流の渡瀬橋、下流の御蔵橋も木橋だった。
何と、信濃川に架かる景雲橋も私が中学生の頃まで(20年ほど前)木橋だった。(昔の萬代橋のよう)
そんな三条って、隣の加茂とかと比べると遅れるってコンプレックスを感じたりした。
そんな三条の木橋も、時代の流れと共に次々と架け替えられ、残るは一新橋のみとなった。
でも今になってみると、何の味の無い永久橋よりも、木橋っていいかもと考えつつある。
今回の水害による河川改修で、五十嵐川の橋はかなり架け替えられることとなる。一新橋も架け替えられるらしい。
この橋を、木橋で架け直すのは、安全面を考えると無理なのかもしれない、でも、せっかく架け替えるなら、今の一新橋の姿を生かしたデザインにして欲しい。橋の欄干は、木材を用いても十分だし、素材としての木材も、ある程度の強度はある。大型車が通行しないのなら、水害や地震に耐えられのであれば、橋の構造部に木材を用いるのも可能ではないのか、その辺りを考えながら、新しい橋づくりに取り組むべきではないかと思う。
足を下流に進める。
土手の下は一の木戸商店街。この辺り、7.13水害の際、真っ先にテレビで報道されたところ。冷蔵庫が流されたシーンが印象的だった。
ここから眺める五十嵐川の景色も素敵。
しばらくして、昭栄大橋にたどり着く。
この橋は、三条の五十嵐川の橋では一番新しい。
ここは、三条の昭栄通りの再開発で生まれた街。
結構、近代的なビルが建っている。
そして、この辺りから本町。しかし、私は、昔の上町という名前の方が好き。
この辺りから、堤外地(堤防より河川側)に家が建つ。
この辺りはとても好きな小路。
しかし、河川改修ではこの辺りも変わるのだろうか。
そして、新大橋。
7.13水害の際には、この橋から、被災状況が放映された。
表向きは復興された様。しかし、生活の再建はまだまだなのだろう。
そして、常盤橋。
この橋も風情ある橋。しかし、ここも架け替えの対象らしい。
この辺り、旧三条の中心地区。今も面影が残る。
と、時計を見ると12時を回っている。
そろそろ昼食。
昼食は、ラーメンの「大黒亭」で。
ここの店、かつて済生会病院があった為、私が中学時代、祖父が入院した時に、見舞いに行った時食べた記憶がある。懐かしい店。
三条も、最近は、様々な美味しいラーメン屋が出来たが、ここの店は、古くからの美味しい店。
店に入ると、店はほぼ満員。そして、昔のラーメンの匂い。トリガラとかつお節の香り、そして、SBコショーの香り。
今回は、ここの名物、カレーそばをいただく。しかし、その前にやはり、餃子。そして、つまみにビール。(えっ逆?)
ここの餃子は、揚げ餃子に近い感じ。普通の餃子より早く出来上がる。中の具は主にキャベツを細かく刻んだもの。
この餃子、皮が美味しい。つまみのビールによく合う。
そうこうしているうちに、カレーそば到着。
スープはとろみがかかっていて、カレー南蛮のラーメン版というべきか。
具は、玉ねぎとチャーシューのみ。あっさりしていて、優しい味。
結局スープを全部飲み干す。
給酒をしたのでエンジン全開!!
まちあるき、復活。
松屋小路。この辺りが、三条の昔の中心地である。
かつて、五十嵐川は、水運が発達し、信濃川を通じて新潟や長岡とつながっていた。
旧一ノ町、このあたり、昔まるよしがあった。(今は、スーパーが入っている。)
この辺りの小路は、良寛が歩いたらしい。看板が目に付く。
徐々に下流に近づく。
ここは、御蔵橋。
この辺りも堤外地に家が建つ。
そして、五十嵐川も河口に近づき、最下流の橋、嵐川橋に...。
ここが河口。遠くに弥彦山が見える。
小さい頃、当たり前のように遊んでいた小路も、今考えればとても風情があったんだと感じた。
この辺り、河川改修でどのように変わるのだろうか?
でも、ここでの営みとそれによって育まれた景色は、変わって欲しくないとも思う。
この街で始まろうとしている新しい川づくり。市民の想いが、この川を、そしてこの街をどのように変えていくのだろうか?そして、かいは、どのように関わっていくべきなのか?
次回は、河口から、商店街を通り、東三条方面に戻ります。
では。
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