かいです。
INTA・新潟も二日目。今日は、フィールドワーク。
私は、「水辺都市の再生」へ参加しました。
通船川、掘割、萬代橋を回る一日。
まず、新潟市役所で受け付け。そこには、「まちづくり学校」の面々。

やはりと思いながらも、地元新潟のまちづくりNPOで、国際的な集まりの段取りできるというのは、心強い。しかし、準備は大変だったろう。
そうこうしているうちに、9時を回り、市役所のバスで出発!バスは満員。体の大きい私には少々狭い。
まずは、朱鷺メッセの展望台から、新潟の景色を望む。これから回る通船川や萬代橋を望む。

ヨーロッパの参加者には、ぜひとも新潟の水辺の景観を感じてもらいたいと思っていたが、ヨーロッパの参加者の関心は、もっぱら、山ノ下の工場群。新潟の産業について、質問が続く。
新潟の産業って、石油とか、製紙とか、水に関係あることばかり。産業と、水辺の関係についてという別の切り口について、眼を開かせられる。

水辺の空間というと、とかく最近は、美しい景観を創り上げるにはどうしたらいいか、ということについてばかり注目させられるが、本来、水辺は生活の場であり、生産の場であったはず。まちというのは本来、営みの場であったのだから、まちと水辺について、そういう観点から、見ていく必要もあるだろう。
次に、さっきの山ノ下の工場群の脇を流れる通船川へと向かう。ここは、市民と行政が協働して川づくり、地域づくりを進めている区域である。
この川は、新潟の工場群の脇を流れており、天然ガスの汲み上げによる地盤沈下等で排水能力が低下し、汚染が激しく、全国でもワースト5に入るほどの汚い河川であった。
又、新潟地震においても大きな被害を受け、その復旧に鋼矢板が使われ、自然とのつながりを完全に失った河川であった。
しかし、これではだめだと、志ある市民が立ち上がり、又、河川復旧に使われた鋼矢板がぼろぼろになって機能を果たせなくなり、その改修を考えていた行政が一緒になって、自然豊かな川を取り戻そうと行動を始めたのがきっかけである。そして、平成10年の8.4水害を機に、その動きが更に大きくなって、今では、素晴らしい水辺空間を取り戻しつつある地域である。
最初に、通船川の治水の拠点であり、又、市民と行政の川づくりの拠点である山ノ下閘門排水機場を見学する。

ちょうど、いかだに組んだ木を運ぶところを見学。水位調整の為、閘門を通過するところ。閘門を開けると、水位は2m近く下がる。通船川は、日本海の水位より、低いのである。

その後、管理事務所で、市民リーダーと行政の担当者の川づくりの取り組みを聞く。

川づくりの夢を語る市民と、それを基に精いっぱい行動している行政の姿は、とてもほほえましく感じられました。
更に感心させられたのは、小学校の総合学習に、この川づくりを取り入れ、子供にも川づくりを考えてもらい、未来の川づくりの人材を育てようとしている事です。川づくりを未来に継承しようという取り組みです。
更に、こうして行われた川づくりの生の姿を見に現地へ。従来の矢板護岸と、市民と行政が一緒になって川づくりを進めた境界線に立つ。

現地の川は、かつて全国有数の汚い川という面影はなく、清流とは言えないまでも予想以上にきれいでした。鯉も住み着いているようです。
ただ、現地では、今まで立地していた工場が、工場の老朽化と不景気により次々と撤退をしているようです。汚染を生みながらも現地の生活を潤していた工場の撤退。何だか皮肉な感じもします。
企業の社会貢献が求められている今、これから更に進められる川づくりには、市民と行政の他に、ここで操業する事業者も交えた協働が必要かと思います。
◇ ◇
次に、みなとトンネルをくぐり、対岸の下町(しもまち)に。そこでは、新潟の掘割について考えます。
まずは、新潟市歴史博物館「みなとぴあ」に。

ここは、6月末から7月にかけて「萬代橋展」を行ったところ。私もその時、わずかながら案内ボランティアをさせていただきました。んー懐かしい。
そんなこんなで昼食に、昼食は「掘割弁当」。新潟の掘割の再生を考える市民グループが作った物で、その由来と、掘割再生の市民の取り組みを旧第四銀行住吉町支店を移築した建物で聞く。

その後、昼食。掘割弁当は、新潟の幸がいっぱい。うなぎといくらが乗ったご飯。それに鮭の焼き漬け、塩イカ焼き、麩、玉子焼き、えび、菜と甘えび、なすの味噌いため、川がにの揚げ物と続く。更にデザートは笹団子。盛りだくさんの新潟の幸をいただく。結構、美味。特になすの味噌炒めが美味しい。笹団子も本格的な味。
しかし、私は、はっきり言って、この弁当をまた食べたいかといったら、はっきり行ってNOである。なぜなら、ボリュームが少ない。確かにおかずは多く美味しいのだが、肝心のご飯が少ない。新潟は米の国なのだから、もう少しご飯の量を増やすべきでは。

昼食後、まちあるき開始。
まず、みなとぴあのすぐ脇に少しだけ復元された早川掘を見学。これぞ新潟という景色だか、20m程か。かつて、早川堀の復元が本格的に動き出したが、40%の地域住民の反対があり、挫折した経緯があるそうである。

かつて、早川堀があったところで話を聞く。

次に、バスで、かつて堀のあった東堀通りを通り、白山神社脇に。
ここは、一番堀のあったところ。ここで又、話を聞く。
この辺りは、地盤沈下の影響で、地盤が低く、堀を復活させてもポンプアップさせなければならないとの事。私は、ここまでしてまで堀を復活させる必要があるのか疑問である。しかし、掘割再生を考えている人達も、単なる観光の目玉としての復活では、意味を成さない。生活レベルまで考えていかなければならないと考えているようだ。
次に、西堀通りを通り、西大畑公園に。
この公園内にも堀が復元されている。堀の周りには柳。新潟の掘割を何とか復活させたいとの思いが伝わる。

かつての堀には、階段がついており、市民が下に降りて、堀の水を洗濯や洗物に使ったそうである。
私も、昔の写真で掘割と古町芸妓が写っている写真を見て、素晴らしいと思う。新潟のどこかに復活できればといいなとも思う。掘割の再生には、平成と言う時代における市民と水辺のかかわりについて、深く論議する必要があると思う。
◇ ◇
続いて、萬代橋周辺に、左岸のグランドホテルの辺り。ここは、かつて萬代橋誕生祭で、ロウソクを灯して、お祝いをした場所。ここで萬代橋リレーフォーラムの話を聞く。

萬代橋周辺の景観問題等にについて、新潟のまちづくりに関係する人達が、集い、語り合う場。私は、時間の都合上この会には出た事は無かったが、萬代橋周辺の景観問題について、志ある人達が動き始めている事は喜ばしい。
続いて、萬代橋を渡り右岸へ。かつて萬代橋誕生祭で、お祝いメッセージを集めたり、オープンカフェを行った場所を歩く。

川岸から萬代橋を眺めると、75周年を記念して復元された橋側灯が、周囲とマッチしてとても素晴らしい景観を生み出している事を改めて感じる。

しかし、その一方で、川岸にはマンション群。これらのマンション、果たして周囲の景観を考えてデザインされたのだろうか。

続いて、NSTの新社屋で、意見交換。NSTの新社屋は、川面を表に設計されているそうである。
今までは、川を背に考えるのが常識だったが、建物と水辺の関係も変わりつつあるようだ。

萬代橋とその周辺の景観問題。志ある人達は動き出しているが、一般市民の関心は低い。どうやって一般市民を巻き込んでいくか、特に川岸に住む人達をどうやって巻き込んでいくかが課題である。
あと、景観問題は、高さの規制の問題に終始しがちだが、建物のデザインについてや、公共スペースを取り入れる事についても、建物を建てる人達と、景観を考える人達(特に地川岸の住民)の協働の場が必要かと感じた。
◇ ◇
続いてワークショップに。
その前に、大阪から来た人を新潟駅に送る。この会の為に、わざわざ遠くから来た人もいる。脱帽させられる。
あと、新潟駅周辺整備事業が近々始まる新潟駅の周辺について、INTAの人達は、どう感じただろう。
バスは、WS会場の新潟市役所に、お疲れ様でした。


ワークショップは、ポストイットを使う方法。
今日感じた事を、1項目づつ書き出す。紙は、3枚もらったが、書きたいことが多く、結局10枚近く書いてしまった。
ポストイットを整理している間に質疑応答。INTAの人達を交えながら、色々な質問が飛び交う。中には京都から来た人もいて、またびっくり。

ポストイットがまとまり、発表。要約すると。

通船川については、川から地域へ、線から面のアプローチが必要。
掘割については、その必要性について、生活という立場から考える必要あり。
萬代橋景観については、理念が必要。
とまとまりました。
かいが、今回のまち歩きで感じたことは、水辺とは、生活空間であるとのことでした。
生産と生活の場である通船川、かつて、生活を支え、これからの生活で必要性を模索する掘割。マンションに住む人達の生活の場の景観の問題。
水が、生活のありとあらゆる場で必要だということについて、又、それを生活の場において、大切に使い、育てることの重要性を感じることのできた一日でした。
うあー長ーい。
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